ファイナル2-1 私の神通念は光と化し、限りなく天へと貫いた [Last2 ラスト2]
2014-02-28((金) 23:14:54
最後のご挨拶大変遅くなりました。 (*_ _)人ゴメンナサイ。 やっと書ける日が来ましたです。。
どうして最後のご挨拶が遅くなったのかの理由は下記の※にて示します。
また、長きに亘って沢山のコメントを頑張ってしてくれたり、亡き愛猫のことを思ってくれてプレゼントしてくれたりと、様々なお心遣いを本当にありがとうございました。皆さんの温かい励みにとても感謝しています。私一人では心折れていたかもしれません。今でも、愛猫の写真を目にすれば、涙がボロボロと出て来てしまうのですけれど。
このブログ最後となりますので、言い難かったことなど思い存分にコメントされてくださいね。
さて、、、先ず最初に、皆さんの認知としては、きっと、
「慈悲の愛を全ての動物へ」、 「New慈悲」 、「きままなBlog」、
そしてこの 【光優しき愛情を動物たちへ捧ぐ】を綴ってきた、それらをご存じかもしれません。
(それら4つ以前のBlogはここに来る皆さんに教えていないので分からないと思われます)
もう・・・自然災害からなる天変地異類へのBlogをこれにて最終最期にしようかと思っていたら、
突如、2013年9月1日に愛猫の死というこの私の人生の中で過去に無く最大な心の悲しみを背負うことになってしまうことに襲われました。
私が昨年の6・7月頃に描いていた未来図は、これからはBlogを綴らずに、その分を愛猫とのんびりと遊んだりして、愛猫の猫生をもっともっと大事にしてあげようと思っていた矢先だったというものを・・、。
(多分にきっと、私の心が驕り高ぶり過ぎた結果だと大いに反省し悔い改めている改悛の日々です。)
旧慈悲ブログの前の、愛猫と共に私と一緒になってスタートしてくれたその更に2つ・3つばかりの前のBlogを見るのも今や本当に辛いものであります。
全てのBlogの内容を、私の感(勘)で書いたのではなく、愛猫が日に日に色々と訓えてくれたと私は思っています。そうでなければ、私は何かと書けなかったと思っています。
勿論、愛猫が、私へテレパシーで話してくれたことも言いましたよね。(7年間の中でたった1度だけれど、それの内容が全て善い方向へと私へ導いてくれた。)
私が多くの猫たちを見て来ていますが、過去に無いくらい本当に賢かった亡き愛猫でした。
ドアの開け方をたった1回教えただけで、それから常に自分で開けてしまう。
【2006年04月09日_02時35分】
このドアノブは丸なので大変だと思うが、愛猫にとっては、力の入れ方と廻し方を熟知していた。
(レバー式のドアも1回で覚え、ぶら下がって余裕で開ける)
愛猫が産まれてまだ1年の頃の時。
2006年04月09日_02時37分
お手は当たり前、お返事も当たり前、教えれば何もかもが出来て当たり前の愛猫だった。。
もうその写真から8年が経つのですね。
本当に私はこの頃、愛猫と共に人生をいつも楽しんでいた。 人生の中で、一番楽しい日々だった。
インターネットで初めてHP(ホームページ)を作り(今でも健在放置;)、その中で天変地異に備えて肉や魚を喰うな! 牛や魚を殺している地域はヤバイぞ!とか、そう色んなことを言っていた。 その時に、大地震が来たら原発がやばいから、早く無くせとかも一人で言ってました。その為に、私に敵意を向ける人が多くて、文句のコメントも結構あったのだけれど、愛猫が居てくれたので力強く進めることが出来た。
その8・9年前の頃の時が、私のネットでのスタートとなっています。
と同時にその時には、ヤフービリヤードゲームに夢中になり、チームを作ってよく仲間と爆笑の話ばかりの日々をしていた。
そんな中、なんだか私を好きだとか言う人があちゃこちゃ出て来て、、彼女も出来てしまった日々。汗;
それからBlogというものへ移行し、歴代のヘンテコな数々のBlogが生まれて来ました。
そんなBlogsの中でも、辛いことも多々あったけれど、笑顔ばかり出していた私。
しかし、2013年の愛猫の死をきっかけに今の私には、私本来の笑顔が一切消えました。
私の魂でポールシフトが起きてしまったかように、心からもう、笑えなくなってしまいました。。
愛猫のお陰で、肉食や魚食などをしないという人も私のBlogから少なからずでも出てくれたと思います。
それだけでも、相当数の動物の命が救われていると私は思っています。
魚・肉を食べ続けている以上、魂は言葉に表せられないほどに穢れ、不浄なものへとなってしまいます。
要は、健康面を意識ではなく、愛猫は、あなた方の魂を不浄な存在から脱出させ、所謂、それだけでも魂を大きく安泰方面へと導いてくれていたのです。
食べている者らと、食べていない者らの差は、あの世で歴然であり、言葉にならないほどの大差です。
他の命を自分のように同じく大事にしよう、可愛がってあげようという慈愛・慈悲心が世に溢れれば、戦争も、強烈な自然災害もほどんど起きません。
ほとんどの殺人者・強姦者などの犯罪者たちや、戦争を好む者たちは肉食をしているので、殺された動物の霊魂とその怒りの血が自分の体内へ入り込み、本来の人間ではなくなり、コントロールが出来なくなり怒り易くなるのは当然のことです。
魂が獣と化すと、その食べた動物の本能のように動いてしまい、せっかくの人間として生まれて来れたあなたの魂が勿体無いのです。
凡人の中の人間では、最大の大チャンスである千年~万年の中の、ようやくの悟りへの境地に至れるかもしれないというチャンスを踏んづけてしまっているのですから。
亡き愛猫は、何もかも私へ訓えてくれました。
この愛猫の莫大な魂の功績は、天界の天国にいるべき存在だと、私は教会で強く神々へ訴え祈ってきたのです。
どれだけの動物や魚介類が死なずに済んているのかと考えると、今でもそれは皆の日常生活内で続いている以上、莫大な動物・生物の命数へ結び付きます。
その上にまた、人から人への連鎖を呼び、それらを全ての命を愛猫が救っているという現実は今も尚、存続し続けているのです。
多分に私の人生で、あの愛猫と出逢わなかったら、私は今、墓場にいると思っています。
これは私でしか分からない強烈な体験を身体でしたので間違いありません。
そうです、私はそのように愛猫にある時に命を助けられたのですから・・。
亡き愛猫無くして、私のBlogは決してありえなかったとは何度か申し上げてきたと思いますが、今でもそう思っております。
だからもし、私のBlogが好きだと思われるならば、愛猫に心からありがとうと時折でも感謝をされてください。 それが私の皆さんに対しての大きな願いです。
それらいつかくるであろう巨大天変地異とその他の災害など数々の押し寄せる苦難を乗り切って貰うために、あなた方は光を受けにならなければならないと、益々思って来ています。
でなければ、あなた方は巨大天変地異の前では死に直結するかもしれません。 単に死ぬだけではなく、日々、家族や神仏を愛し、私生活面において壮絶な苦労をされている人でない限り普通は天へには入れません。
今やごく普通の人でも受けられる光を持つことが、本当に必要な時代となってきているのです。
その答えは、人類最大の危機がやってくる現時点の世の白陽期だからです。
ここで一旦、眼を休めましょう。 緑の物や遠くの物を観たり、軽く屈伸運動をしましょう。
※ 冒頭でお伝えした、ご挨拶の遅れの理由について。
今からお話しをすることは真実に私に起きたことです。
今からするお話は、するべきか否かをかなりの日数を考えました。凡人からしてみればこの人は精神的におかしいと思われ、信用が無くなる可能性が大きいから躊躇していたのですが述べてみます。
私は実際に自分で体験したことをそのままお話することが私のBlogでの役割の一部なので。
霊魂の世界を信じる者や、ある程度の霊格が高くなければある意味分からない部分もあるかもしれません。
私は愛猫が亡くなってから、教会で泣き祈りしながら、愛猫のところに早く連れて逝ってくれ!とか、早く逢わせてくれ!とか、そのように寂しさのあまりに、そんなあってはならない罰当たりな祈りの念を何度か言ってしまった。 (のち、懺悔してその祈りの撤回をしたが・・)
それを大きな根源として以下へ繋がっていったとも思う ⇓
そして2013年12月25日、午後3時頃に愛猫の霊園へ出向いた時に、私の愛猫の遺骨左右の動物の遺骨全てを触って、私の愛猫からちょっとだけ離すように数ミリの移動を5頭したのです。(何故だか・・・あまりにも、私の愛猫の遺骨にくっ付いていたので。。聖母マリアグッズとペンダントイフがある為??)
そして、愛猫と一緒にクリスマスを過ごすことが出来ず、あまりにも心が寂しくなり、その場で魂から泣いてしまったのです。 それがかなりの隙間を魂へ作ってしまった。その時に、なんだか霊体が首の後ろからス~~っと入って行ったような気が生まれて初めてしたのです。
その霊園を後にし、四ツ谷のイグナチオ教会のChristmasミサへ出向いて、更に・・・、もしかしたら信者の想念や霊魂を背負って来たかも?しれません。=(私はあのChristmasの日記で、 “聖霊が今回はそう感じずに、この展示内で、うじゃうじゃと霊体のようなものがうごめいていたよ・・。 それが信者の霊なのか、聖なる霊体なのか、私には分からにゃい。”
と言った。 そこから3日後付近で私の身体に徐々に異変が起き出してきた。
私の筋肉の部分を、霊体が動きまくる! まさに、人生でこんなことは生まれて初めてだ・・。
最低でも5体くらいの動物の霊体が憑依している?のを何となく感じた。 自由自在に私の身体を右手や背中や足を動き回るのが3体いる感じもして、かなり違和感を感じる。 また、布団に入るたびに24時間問わずに何体もの霊が布団の上や枕に来る気配を感じる。(私では霊感が低いので、その霊体らは目に視えない)
そのままでは当然に気味悪く嫌なので、1月1日の深夜には、その霊体を自らの身体から出そうと思って独自の祈りをしたら、ボコッっと、腰の後ろ部分(命門という部分)から、動物霊(猫)が出て来て、その猫には鈴が付いており、それをたまたま近くにいたあの新しい子猫がそれを視えているようで追っかけた。 それは・・・・・・自分自身でも笑えるようでこれは笑えない。
私には、その廊下へ逃げて行った猫の姿は瞬間しか視えなかったが、鈴音だけが廊下の方へ急いで逃げて行ったので勘違いではない。 すぐにその子猫に追っかけては駄目!と言った。(泣笑;汗)
ありえない・・・この私が憑依などされるなんて・・・・決してありえない。。。
だが、現実に明らかに私の身体内部で何かが動いているのは勘違いでは無い。
これはさすがにチトまずいぞと我ながら思い、、、
先ず、用意周到である私のことであるので、既に12月下旬から予約を入れておいた1月6日に動物霊園で亡き愛猫の供養をしにゆきました。 お坊さんにお経をあげて貰うのです。
亡き愛猫の仏具一式を片付けてたこともあるし、それにこれは、もしも私の愛猫が、私の引っ張ってしまった心の悲しみの念で上に逝けてない場合も想定しておいておいてのことを事前から考えていたために、そのように先に住職に頼んであったのです。
これは母も一緒に行ってくれた。 母には、連日私の言っていることが、ちょっと信じられていなかったために連れて行ったのです。
お坊さんの眼を視た。信じられる人。 とてもにこやかにお話をされる人だった。
しかも真剣に耳を傾けてくれる。 この人ならばお話をしても理解してくれて通じるだろうと。
『毎晩、毎度、私の寝床に愛猫かそれとも違った霊体らが来ます。』 その霊魂らを成仏させてあげるようにお願いしたのです。 もはや、その私の寝不足で弱り切った能力では、上にあげる能力すら出来ない。霊能者では無いので、そもそも私の知らん霊体の霊魂など、天に上げることなど私には出来ない。
住職から先ず言われたのが、「あなたがそこまで祈りをしたならば、必ず上にいるはずです。ですから、その霊が愛猫ちゃんとは思わないでおきましょう。 それに、その霊魂らが、あなたに危害を加えるためではなく、護りの動物霊として憑いているのかもしれません。 あなたは光りが強いのです。そしてとても性格が優しい、だから助けてくれると思ってあなたをどうしても頼って来てしまうのです。」
おかしぃ・・・・私が物凄く祈りをしていたなどとは、一言も伝えていないというのに何故分かる?。
私と、この住職とは初対面ですし。
そしてお経が始まった。。。 ( ーノー)o/"Ω ポクポクポク…ボンボンボン、 (-ノ-)/Ωチ~~~~ン
3つの祈りをしてもらったのですが、その2つ目のお経を唱えている時に、私の背中から頭のてっぺんに徐々に上がってゆく霊魂の移動を感じ取り、今だ・・・・『そのままで出てゆけ!あの世の天へ逝きなさい!』と、私は祈りました。
そうしたら、頭のてっぺんから、ズボッっと、白い霊体のものが天へ向って上がって消えて逝きました。
私は初めて視ましたよ・・・、成仏するという瞬間をこの私の眼で・・。
表現として上手に言葉に言い表せないような感じですが、
霊体と光が一緒になって、天へ瞬速で逝った! そのような表現が相応しいかもしれません。
私はこんな次元上昇の道を通らなければならないのか・・・・と、、、。
その間にも御経は続いたのですが、出て逝ったのは、その大きな猫一体と、あと小さなウサギかハムスターなどの小動物1体ではないかと感じました。小動物は私の身体の脚や横から出た??!感じで、もしかしたら、またその動物は、また来世で動物として産まれて来るであろうと感じました。(俺の力不足でゴメンネ。。)
「他の住職ならばこういったものは嫌がるけれど、あなたならいつでもおいでよ、お経ならばいつでも唱えてあげるからね!」と住職は言ってくれた。 (泣笑))
「普通の人はね・・・、すぐそこにいるというのにも気づけられないんですよ。 ただ、あなたの場合は気づけてしまうんです。 本当は、みんなの傍にもいるってのにね」 (安心笑))
「憑依されるってのはね、必ず意味があるんです。 その霊が教えてくれているんです。 私が思うに、あなたは、、、例えば、神の道や仏の道を歩むような人生を送った方が良いと思うんです。 滝に打たれての修行をしたり、、、とか、色んな修行をしてみるのも良いかもしれません。」
そして2月3日、愛猫が亡くなって半年近くになるためにその霊園へまた向かった。
前回のあのお経を唱えてくれた1月6日以来である。。
そしたら、偶然にもあの住職に出会った。 ここには住職が何人か在籍しているのだが、その偶然も必然のような気がして、、立ち話でお話しを40分もした。
この人の眼は、仏に通じている眼だと感じ、私は話の中でその住職に言った。
『私は28年前に第三の眼を開いています。 しかし、遊び三昧なめちゃくちゃな人生を辿って着たので、駄目な人間です。』
住職 「 どおりで普通の人とは違うと思いました。 あなたは、人間の霊体も視えますか??」
私 『いえ、霊能者では無いので視えません。 写真関係ならばある程度は視えます判ります』
住職 「 何か力を持っていますでしょう?! 人を視てあげるとか、そういった仕事に興味事は無いのですか?? 」
私 『念で天地へ通じる様に申し上げることや、神通力で苦しんでいる人とか痛んでいる人へたまたま治してきたことはありますが、本来、人を視るということは、それ自体、天が許していませんのでしませんし、まして私の能力ではそれは全然出来ません。』
住職 「 ほぉほぅ・・・・・ならば、これから修行をして、神と仏の道の関係に進まれた方が良いですよ。 その中で、今、憑いているものも自由に指示出来るようになるのですからね。 今は離れていなさいとか、そういう指示も出来るようになりますよ。 」
私 『ご住職は、お坊さんになってどれくらいになられますか?』
住職 「そうですね・・・もう30年になりますね」
上記でお伝え出来ないお話もあったが、それらは短縮しました。
今、私は現時点、たった一体のものが憑依しているか?、もしくは常に私の傍にいる。
白衣観音菩薩に祈っても、この霊だけは私からは決して離れない。
きっと、猫だとは、私には確実に感じている。
キリストの祈りの中で、霊による復活のような祈りも幾つかある。
もしかしたら、、、、愛猫??が霊になって復活し、この私がしっかりするまでは離れない・・・私の傍にいるのかもしれません?。
私は、巷で何万とか何十万とか支払っての除霊などのように、相手の霊魂が強制的に排除するのは、その霊に悪いと思っているので除霊だけはしない。 霊の方が納得しなければ、なんら意味が無いからなのです。(その霊体に対して、浄霊という形態などの優しい気配りならば、自ら現時点でしています。段々と、その霊体の力が落ち着いてきて、いずれは私から離れて逝き天へ昇ることですが。しかし、限度だと感じた場合には、霊能力者の力を必要と考えも無きにしも非ず。 まぁ、今や生きる力も頼りない気力のままで生きているので、私の心が生きる力を愛猫が居た頃のような私のき心へ戻れば、その霊は私から離れてゆくと思っています。)
また、一旦、眼を休めましょう。 緑の物や遠くの物を観たり、水分補給を沢山しましょう。
先ず、私の勘違いかもしれないし、視える人に視て貰うことをしなければならないと思っていた。
そして何が私に纏わり憑いているのか(霊視・スピリチュアル・カード)に視て貰った ⇓
そしてその住職の2014年1月6日から5日後の1月11日に、とある芸能関係方面のちょっとした人に、私の事・亡き愛猫・新しい子猫、その他私の前世や私に関わる私生活ついてなど霊視にて視て貰いました。今回2度目となります。(この方はちょっとした知り合いなのですが光の人間ではありません)
色んなことをお話ししてくれましたが、大まかにここでお話をチトだけしてみたい思います。
Q:一体、私に何が憑いているのですか!?
A:「あなたに・・・・相当な数の想念が一気に集中しています。」
「あなたは性格がとても優しい、だから、あなたに助けを求めにやってきたのです。 霊体については飼っていた自分の猫ちゃんだとは思ってはいけません。 あなたがそこまで祈ったならば、通常、上にいるのですから先ずは愛猫ちゃんだとは頭から外してください。 また、今のその住んでいる土地柄は昔に動物たちが殺された善くない土地の一帯ですし、その中で、あなたが助けをしてくれるような感じをそれらの想念が察知し、あなたへ集まって来たのです。」
それはまるで前述した住職と一部同じよう~な感じのことを言ったのです。
まずは、その想念たるものの浄化しましょう!と言われて浄霊・浄化が始まった。
結果、私に対してそれら全ての代表?!をした人物が “今までありがとう”と(_ _) ペコっとお辞儀して天に上がって逝きました。 炎と煙が本当にお辞儀をして上がって行ったのです。。。私はそれを目の当たりにして唖然としました(゚○゚)。 それを視てくれしてくれたご本人も感動をずっとしていました。過去、ここまで素敵過ぎた浄化=天へ逝くことはなかったそうです。 (素敵って・・・・・泣き笑い・again;)
なんだか、私の目の前で、常識ではありえないようなことが正月から目にしている。
普通の人間ならば、きっと、精神科に行ってしまって薬漬けになっていることでしょう。(私は病院にも薬も服用していませんからね。 種を蒔いた原因の中身も私自身が分かっているので落ち着いて受け止められ精神がやられることはない)
その大きな事柄を終えてから色んな質問をしてみた。 ⇓
Q:私のオーラは、今、何色をしているのですか?
A,「あなたの元々の基本のオーラというものは、綺麗な海をイメージしてください・・・・、海のブルーと、浜辺に向かってゆくにつれ、グリーンの色があります。その青とグリーンの中間の凄く綺麗な色です。それがあなたの基本の持っているオーラです。
Q:私を守護しているものは一体何なのですか?
A, (なんだか驚いた顔をして私へ告げた・・・!)
「海を護るもの、山を護るもの、それがあなたを守護しています。それが何なのかを、今は、あなたに訓えられません。まだ、もっと心が成長してから、それを知った方が善いでしょう。」
Q:それは、、、、、、、、、善いものなのですか? 悪いものなのですか?
A,「とても善いものです・・・。」
結局、一体なんなのかを教えてくれなかった。 私もその答えを問いたださなかった。多分に、今の私のレベルでそのものを知ってしまったら、高慢な心、驕り高ぶる人間になってしまい、今よりも駄目人間になる危惧をされたのかもしれないと感じた。
(この人に8年前に視て貰った時には、あなたの守護をしているものは全く何もありません。たった一人で生きてゆく力があるからです。 と云われて、嬉しいやら、悲しいやらの気持ちになった7年前のその時があった。 でも、魂が独りでは孤独であり、孤独であるが故に生きて行けないと私は思っていた。)
そのあれから8年。 私は天変地異から大地を護ること、動物を護ることのみを一心になってBlog綴りに精を出して来た。
(その途中の2011年?12?だったか、弁当屋で傘を盗まれて、その者を追っかけたもののもう行方は見当たらず、私は車の中で怒りを出し、すると神や天使たちが逃げて行ったという感じでBlogで云った。そして2012年(本厄年)の一番大事な次元上昇時12月に、左から急に出て来たチャリとぶつかりそうになって、そこでとうとうブチ切れた。そして私を守護しているものは一切無くなったと感じていた。)
今回言われた、そのものの正体が一体なんなのかということは、私にはおよそ分かっている。。。
限定的な海や山とは言われなかったので、そのままに地球の海と山全体を示すことが伝わった。
一体なんなのか・・・・そのことをとある人に聞いてみたら、それはこの世の神なんじゃないのかと言われた。
神と言っても、当然に神の頂点の全能なる宇宙の創造主の神では無い。
帰天神などではないのかと。(帰天神とは、各地域に居座る御神仏)
みなさんは、お分かりになっただろうか?!。
貧乏神だったりして・・・・(;ゝ_ξ)。。。 彡彡(○゚ε゚○)プププー
でも、Blogを綴ってゆくうちに、私が何故かいつも言い放っていた、『大地に愛の念を!』 と、よく言っていたのが、ようやく理解出来て来た。 どおりで地震や台風なども誘導し、それら言葉自体を何気なく自負出来る訳だ。。?! もしも2011の3・11前に、そのことを知っていたならばと思うと・・・。(でも、あの3.11エナジーへには独りでは無理。皆の愛の念と連結させなければならなかったことだろうと思う)
しかし、、、私は海にも山にも何も実践行動をしていない。
いつもBlogで、『海を汚すなこのアンポンタンめ!』 とか、『山火事を起こすな、」山を削るな!空気・大気を汚すな!』 とか、口だけ・・。
Blogで口だけ達者男・・。
そんなこんな駄目人間な私に、そのような大それた存在が、この私を守護してくれて、力の後押しを発揮してくれていると思うと、それらが守護をしてくれていることに感謝をしたいと思った。(まぁ、私は光があるから守護はあまり必要無いのですけれどね。でも、応援してくれる味方がいると誰でも嬉しいものです。)
皆も日々、大地へ感謝を日々しましょう。 守護してくれて力を与えてくれるようになるかもしれませんよね。
大地の揺れについては数年前から述べていたが、直近としては2013年11月29日にこう述べている。
⇓
“大地の揺れは、、、そう地震は、念と、神仏への祈りでコントロール出来るもの。”
大地に愛の念をという言葉は、私独自の考えた思考の念で、その住まわせていただいている大地(穀物・動物・植物やその他の命へ)感謝し、その大地へ感謝の愛の念を日々送ることによって、天災から護られるようにする。
私にとって、地震や台風やその他の災いなどで崩壊する土地は、大地に・全ての生き物に、愛が足りない証拠だと昔から思っている。
私の最大の聞きたかったこと ⇓
亡き愛猫の今について聞いてみた。
愛猫は、今、ごく普通に良い場所で生活をしていると視てくれた。
安心して善いということです。
急に死んでしまったので、愛猫自身が(゚ー゚*?)オヨ? (゚_。)?アレ、っと驚いていたという。。。
(その視てくれた人に、どうなって愛猫が亡くなったとか具体的な説明をしていない)
そして、私に対して愛猫から言いたい事があると・・・。
それは、、、、、
『LOVE』
それを見て聞いた私の魂は、なんとも言えがたい光の魂の涙の震えが立った。。。。。
そして、 『達成感』 と云う。 その2つだけの言葉が言われた。
愛猫から私に対して、愛を伝えたい、と言われたのだ!・・。(そこで私は涙が出た)
かつてあなたは、ここまで美しい猫顔を見たことがあっただろうか?!
達成感とは善い場所へ逝けたという達成感なのか、それとも、この私へ訓える為の役目を終えた達成感なのか、それを聞くのを忘れてしまったが、、、私を愛しているという言葉を言ってくれただけで、私の魂からの愛の想いと念は決して無駄ではなかったのかと、、、その時に初めて私の心はある程度は救われたと感じた。
悲しくも突如あの世へ旅立ってしまった愛猫であったが、その愛猫の死を以ってこのBlogの最大の一つの見本の示しが出来たとも思えるそんな悲しみもある・・。
皆も、自然に生息する動物や、共に生活をしている動物へ、愛情を注いであげてくださいね。
そのあなたのペットも、あなたの過去世において必ずに関係しているのですから。
だからあなたのもとで縁があって飼われるようになるのです。
それが終えた午後7時頃から、、私の光の種族の集まりである場所で私だけの為に、神仏様へ祈りを提供していただいた。3400回のお辞儀の動作からなる私の心の願いや懺悔と、そしてそれにて神仏さまからご慈悲をいただき、この私へ力を与えてくれるために・・・。(本来は、日本国の危機とか、誰かが危篤状態で危ういとか、そういったことのみでしかしないと言われた。)
引き続き私達が出来る事、しなければならないこと。
動物を護るべく考え行動するのはもとより、未来の天変地異を少しでも弱にするために神仏様への祈り、大地への愛の念は、おのおの続行しておいてくださいね。
そう・・・・私を信じる者は、最終的には救われるからである。 (タブン;)
私は、、、また新しいBlogへ戻ってくる。 もっと大きな心と、もっと更なる神通念・力を背負って、新しいNewBlogのオープンが出来たらなと思っている。 (*_ _)ノ(ムリムリ、タブンニ セイカクハ アイカワラズ ダロウネ~;汗)
今の自分の持つ光を、もっと強力にしてからNewBlogを開始したいと思っているので
ちょっくら精神と無所得の独自の行いの修行でもしてみようかと考えています。
ただ、また新たにBlogを開始したとしても、もう、ほとんどのことを伝えてしまったので伝えることは無いかなと思っている部分もある。同じようなことを伝えられても面白くないでしょ。 ん・・後は、光だけを魂に備え付けて貰らうことだけかな。出来れば家族全員とかがBestなんだけれど、多分にそれはいきなりは無理なことでしょうから、先ずは一人でも受けるようにする覚悟を決めておいて欲しい思います。
(上記、写真添付出来ていないものや、付け足しや誤字などで文章を編集する場合もあります)
(ファイナル2-2へ続く: 2日後付近にUPします)
2014-02-28 23:14